『ある放浪者の半生』V.S.ナイポール

 

ある放浪者の半生

ある放浪者の半生

 26にして2社目の会社を1年に満たずして職。もちろん次の会社は未定。

 お昼過ぎに起きて、「あーーーまだ1時か。。みんな仕事してるなーーーもっかい寝よ。」「あーーもう3時かーーーまだみんな仕事してるなーーーカフェでもいこ。」そこから何時間もスタバに居座り、本を読む。隣には図書館。とっかえひっかえで本を読む幸せ。そんな人生の休暇を楽しんでいた時この本に出会った。
 昔から何をするにも飽き性で、やることなすこと全然続かない。そんな自分に半ばうんざりし、いつまでこの休暇が続くのか、本当は怖かった。人一倍頑張ってきたのに、なんでこんなことに。。。??確かにみんな、自分のそれなりに大変な人生を精一杯生きているのだろう。だから、大変なのは自分だけじゃない。それを理由に仕事ができないなんて、甘えでありわがままだ。そんな風なまなざしで、社会が自分のことをみているような気がした。そんな社会とはおそらく自分の内なる声なのだろうが。。。だけど、誰がなんと言おうと、「私は」人生に疲れたのだ。もうなにもしたくないと思ってた。

 ここには私が描かれていたと言っても過言ではない。訳者が、原題「ハーフアライフ」を、半々の人生、もとい、中途半端な人生という意味ではないかと言う通り、主人公サマセットモームと周りを取り巻く人々は皆、中途半端な人生を送っている、というより送らざるをえなくなっている。登場人物は、皆それなりに精一杯生きている。だが、本人たちが精一杯生きているのとは裏腹に、人生はその努力を100パーセント報いてくれるわけではない。(そして日常の生活のなかで、常に100パーセントの努力をするのはかなり難しい)頑張っているのに、不器用であったり、方向性が間違っていたり、それこそ運がなかったために、結果的に中途半端な人生になってしまっているのだ。
 モームはインドでの生活が嫌になり、ロンドンに渡り、いざロンドンにいるとなんとはなしに日々が過ぎ卒業。その後の所作など考えていなかった彼は、これまた気まぐれで彼女の実家のあるアフリカへと移住する。気づけば18年。

 いまや僕の人生の最良の部分は終わってしまった。そして、僕は何もしていない。


当初は様々な文化の軋轢のある社会で、確固たる居場所がモテない者たちの苦悩かと思ったが、どこにでもある、それこそ日本でも、まさに今となりの人の顔に確認できるような現代人の苦悩が凝縮された本だった。気がつけば、自分の人生とも言えない、言いたくないような人生を生きてきてしまった。絶対思いたくないが、どこかで思っている自分がいる。
 ああ、だけどそうか。そうやって試行錯誤して積み上げて行くことに意味があるのか。たとえ、20年後、まだ何もしていない!!と叫んでいても、その時気づけたら幸せだ。

 また仕事しよう!!!!!