『恥辱』クッツェー

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)


 アパルトヘイト後の南アフリカで教授をしていた彼は、自分の教え子に手を出して職を追われ、娘の営む農場へ身を寄せる〜という話。 その後の展開はさらに劇的で、現在の南アフリカにある様々な価値観の対立を垣間見せてるところがこの本の評価される所以なのだろうと思われる。
 だけどわたしが1番に感じいったのは、老いるということは、恥辱に耐えるということなのだろうということ。老いても性欲は衰えず、若く美しい女の子と寝たい!という欲求は、若い時と変わらずにある。これはきっと多くの男性にあるはず。だけど、普通の人はそれを表立って実行に移さないし、もう移せない。それは社会のルールが自分にも染み付いてるからで、その暗黙のルールを理解していながら自分が抗い難い欲求を感じている、それが恥辱に耐えるということなのだろう。だからこそ、 この主人公は、若い女の子と寝る特権は若い男性だけにあるわけじゃない!!と自分を納得させ、積極的に享受しにいく。世間にばれた結果も、別にいいじゃん!!といった強気な姿勢だが、地位も名誉も奪われ田舎に追われる姿に哀愁が漂う。


 また娘に会ったら会ったで、娘の新しい価値観は、父の古い価値観を拒絶する。価値観とは自分が生きてきた軌跡の結果のようなものだから、それを拒絶されるという恥辱。

 恥辱を読んだだけではこんな感想に至らなかったのだけど、『鉄の時代』も合わせて読んだらこんな風に思った。ただし、どちらもわたしには受け入れ難い。それは、わたしがこの本同様、初老の男性に言い寄られて身の程を知れと思った経験があるからなのか、それともわたしが新しい価値観の側に近く、老いる側の立場にたって考えることがまだできないからなのかは定かではない。
あと、老いることをテーマにした本という意味では、ドリス•レッシングの『夕映えの道』の方がはるかに好きだ。